みなさんは自分が何歳まで生きたいか、どう死にたいかについて考えたことはありますか?
いつまでも若くありたい・・・
古くは中国・秦の始皇帝や漢の武帝も追い求めたとされる「不老不死」。世界中の神話や伝承にも必ず登場する「長寿や永遠の命」は、人類にとって永遠の憧れなのでしょう。私も医者として働き出すまで「できるだけ長生きしたい」と考えていましたが、最近大きくその価値観が変化しました。
今日は、そのいきさつをお話しします。
医者を長くやっていると必然的に多くの高齢者と出会います。自分でも正確な数字はわかりませんが、少なくても3000人以上の高齢者の診療にかかわってきたと思います。そんな患者さんのなかには満100歳のおばあちゃんもいました。90歳でも矍鑠(かくしゃく)としていて、一人で外来に通院される方もおられました。ちなみに私の祖母も満101歳を迎え、安倍首相より表彰状をいただいています。
ではそんな超高齢者のみなさんは運だけで長寿を勝ち取ったのでしょうか?
そうではありません。
私の出会った元気な高齢者は、生きがいや趣味を持っている人が多い印象でした。私の祖母も90歳を超えても畑や犬の散歩をこなすほどの働き者でした。 肥満の超高齢者はまず見かけません。みんな標準体重かそれ以下の方が多いです。メディアで有名になった高齢者としてはきんさん・ぎんさんや聖路加築地病院の日野原先生(享年107歳)などが有名ですが、彼らにはそれぞれの健康法があり、ボーっと生きているだけで長生きできるものではありません。
そこでみなさんも「自分が90歳や100歳まで生きられるか?」と考えてみましょう。
私の場合どれだけ自分自身を甘く採点しようとも、その答えは「No」です。男性の場合、女性に比べて不摂生をしやすくもともと性別的に寿命が短い宿命を背負っていますからさらに条件は厳しくなります。さらに「生きるにはお金もかかるし、介護の世話もかかる。長生きは必ずしもいいことばかりでもない」とも考えるようになりました。さらに悪いことに、私は自他ともに認める極端なアウトドア派で家でゴロゴロ過ごすのが大嫌いです。「自分で外出もできないようになったら、きっと生きがいを見いだせないだろう」と思います。そして私はそれ以上、長寿を望まなくなりました。
死ぬ直前まであくせく動き、できることならば痛みも苦しみも感じることなく、さらに欲を言うならば妻のそばで死にたいと思います。しかし、妻の死生観はもっと極端で「年を取る前に60歳くらいで死にたい。一切の延命措置もしないでください。」と若い時から豪語しているので、私が妻を看取る可能性の方が今のところは高いかもしれません。
「では、私は何歳くらいで死ぬのが理想なのか?」と言われれば、まだはっきりとはわかりませんが自分のやりたいことをやりきったときに自然とその日がくるような、そんな気がしています。
もし、あなたが長寿に興味があるのでしたら、自分の目標とする寿命をしっかりと定めましょう。
それに応じたライフスタイルや老後の準備をしていく必要があります。そして、一歩踏み込んで「自分の死」をもう少し見つめてみましょう。自分はどこでどうやって死にたいか、延命措置は希望するのかしないのか、という希望を普段から家族と共有しておくことがいざというときに役立つ場合もあります。
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