「人生会議」のポスターが炎上・・・救急現場の視点から

非常に残念な話題です。

終末期医療に関する厚生労働省の啓発ポスターが患者団体などから批判を浴びた問題で、ポスターのモデルを務めた小藪数豊さんが釈明した、と報じられました。

救急医療現場を担う者の立場から、声を大にして申し上げたい。
このポスター自体、厚労省の取り組み自体に何の問題があるというのでしょう?まったく素晴らしい取り組みあり、拍手を送りたいと思うほど大変望ましいし、時代に即した素晴らしい啓蒙活動です。自らもがんで闘病中の高須クリニックの高須克弥院長も「小薮さんは謝る必要はないと思います。何の責任もありません。僕は作品に心うたれました。素敵なポスターだと思います」とコメントしています。

人間はいつか必ず死ぬんです。
批判をしている方たちは自分だけは特別で「死とは無縁の存在」とでも思っているのでしょうか?
私もいずれ死ぬし、あなたもいずれ死ぬのです。1人の例外もいないのです。それはこの小藪ポスターのように明日突然やってくるかもしれません。だからいまを一生懸命生きなくてはならないですし、自分や家族の「」について普段から心臓や呼吸が止まった(もしくは止まりそうな)ときにはどうしたいか、延命治療(心肺蘇生や人工呼吸器、透析、胃瘻など)を希望するのか、自然のものとして「」を受容するのかを日頃から相談しておくべきなのです。

皆さんは免許証などの裏に臓器提供の意思表示が印字されているのはご存じだと思います。
臓器提供のタイミングはすなわち自分が死ぬときのことです。
つまり、臓器提供の大前提は「自らの死」です。
ということは、臓器提供に至る前の「自らの死」についても意思表示をしておくことが自然な流れではないでしょうか?
十数年前には自然に受け入れられた臓器提供の意思表示、なぜ令和の日本人には「人生会議」が受け入れられないのか、私にはわかりません。

人生会議」という言葉がマスメディアやインターネットを介して広く国民に浸透し、死に直面した際の意思表示を簡単に確認できる社会を目指すべきであり、 私はそう遠くない将来実際そうなるであろうと信じます。


さいごに
もちろん「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている方々の意思も、尊重されるべきです。
一方、チューブや機械につながれて、辛い闘病を強いられ「回復の見込みがないのなら、安らかに死を迎えたい」と思っている方々がいるのも事実です。
自分の意思を元気なうちに記しておく。それが「人生会議」のポスターがみなさんにお伝えしたかったことだと思います。(このことをリビングウイルとも言います)


この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

たけしのアバター たけし アラフォー外科医

40歳を過ぎ、人生に焦りを感じ始める
自分がすべきことを探求した結果、健康に関する情報発信を始める
妻の経営する弁当屋のホームページも担当

将来の夢は自分のクリニックをひらき元気な高齢者を増やすこと

コメント

コメントする