第4回 ペシャワール会 中村 哲先生

『称賛されるべき日本人』第4回は、アフガニスタンの人道支援に人生を捧げた中村 哲先生です。

朝日新聞デジタルより

中村先生は2019年12月4日、いまからちょうど4年前にいつも通り現地で仕事に向かう途中にテロ組織に銃撃され命を落としました。

中村先生はアフガニスタンで35年にわたって医師として働きました。
2000年に起きた干ばつを契機に、医師でありながらアフガニスタンの砂漠に大規模な用水路の建設事業を開始しました。本来ならば政府が行うような事業を、一外国人が周囲を巻き込みながらやり遂げたのです。日本のような物資や人材が豊富に手に入る環境でありません。そんな現地で長年、地道な支援活動を続けてきた中村医師だからこそ、やってのけられたのだと痛感します。中村医師が中心となって完成させた用水路によって、なんと65万人の人々が飲み水や食べ物に困らない生活を送れるようになったそうです。

相手武器っているからといって、こちらも武器えれば、けんかがくだけできりがない、と中村先生はいつもっていました。中村先生と一緒ごすアフガニスタン人には「やられても、やりしてはいけない」としていました。そのような姿勢けていくと、くなかったたちからもしずつ信頼されるようになっていったといいます。

ペシャワール会によりますと、アフガニスタンでの活動で、これまでに(ペシャワール会本部のある)福岡市「PayPayドーム」およそ3400個分の乾いた土地が緑豊かな農地に変わりました。また、中村先生が亡くなった後もペシャワール会の支援者は1万人余り増えているということで、中村先生の思いは確実に次世代へと受け継がれ、広がっているようです。

中村哲先生は、「一隅を照らす」という言葉が好きでした。

その言葉の意味することは
「となりのっているのためにやさしくになってあげることで、あなたも、まわりのるい気持ちになっていくでしょう。」

中村先生、第1回でご紹介した𠮷岡先生、第3回でご紹介した村田氏の信念に共通することは


自分いる場所で、誰かのために自分ができることを一生懸命やりましょう>

ということに尽きると思います。
そして、その想いを行動にできた人が、人々から称賛され後世まで語り継がれるのでしょう。

用水路建築前後での変化
https://www.nhk.or.jp/fukuoka/lreport/article/001/42/
https://www.nhk.or.jp/fukuoka/lreport/article/001/42/

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この記事を書いた人

たけしのアバター たけし アラフォー外科医

40歳を過ぎ、人生に焦りを感じ始める
自分がすべきことを探求した結果、健康に関する情報発信を始める
妻の経営する弁当屋のホームページも担当

将来の夢は自分のクリニックをひらき元気な高齢者を増やすこと

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