自分や家族の看取りの場所・・・人生における最後の選択肢とも言える重要な問題です。
現在の日本では、2015年の時点で77%が病院を選択しているそうです(平成27年人口動態調査より)。
では、病院はすべての人にとって本当に理想的な死に場所なのでしょうか?
病院の存在意義は、元来、看取りのためにあるものではなく治療を行うためのものです(一部の病院を除く)。
ですから、看取りのためのベッドはごくわずかしか用意されていません。
これから訪れる本格的な多死社会を支えるだけの医療資源および財源は、確保できないという事実があります。
また、病院では自宅に比べて制約が多いのはみなさんご存じだと思います。
それは、病院が治療を行う場所であって、治療が最優先だからです。
病院の食事は1食あたり460円ほど(2016年3月までは260円でした)、自分や家族がこれから亡くなるというときに、この値段で提供される『最後の晩餐』に満足できるでしょうか?
病院では、お酒やたばこなどの嗜好品も制限されます。音楽や入浴、家族との面会だって自由にはできません。大好きなペットとも会えなくなります。
ポストコロナ時代の病院では、たとえ終末期といえど十分に面会できる環境は確保できないのが実情です。
本格的な多死社会時代を迎える
これから団塊の世代が後期高齢者となり、日本は本格的な多死社会に突入していきます。
日本の総死者数は年々増加をたどり、2040年には年間で160万人が死亡する試算です。
すでに日本の病院はつねに満床状態で、ベッドに余裕はありません。
この急激な死亡数の増加を、今まで通り病院が支えることはどうやっても不可能なのです。
海外での看取り場所は?
海外では、病院での見取りはむしろ少数派です。
先進国アメリカでも病院での見取りは40%台。
日本は80%前後が病院での死亡・・・世界的にもこの異常な状態には、なにか理由がありそうです。
いまこそ自宅での看取りを自然な選択肢に
そんな日本も1960年代までは、自宅での看取りがごく一般的でした。
救急車の無償化や国民皆保険制度の存在も病院での看取りが多い理由の一つでしょうが、介護保険制度導入の遅れや核家族化・高齢単身世帯の増加の関与もあるでしょう。
そのなかでも、もっとも影響が大きいと考えるのは『日本人の死生観』です。
現代日本は、世界一の長寿国となり、なぜか死をタブーとする風潮があるように思われます。
『生きているものはいつか必ず死ぬ』という当たり前の事実が置き去られ、どんなに高齢であっても最後の最後まで生きるための治療を希望する・・・そんな選択をする家族がとても多い気がします。
自らの命に限りがあると分かった場合、最後の場所をどこにするか。これは人生最後の選択肢とも言える大きな問題です。
ご本人が自らの意思で病院での延命治療によって1分1秒長生きすることに意義を感じられるのであれば、病院で最後を迎えることにも意味があるでしょう。
高齢化社会・多死社会を迎えるにあたり、各種老人ホームも急速に増加しつつありますが、自宅ほどの解放感は得られないでしょう。
しかし長い人生の締めくくり、自宅で好きな人に囲まれ、好きなものを食べ、好きなことをしながら、最後の瞬間を迎えるのも決して悪くはないと思います。
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